ツタンカーメン展


 古代エジプトの王、ツタンカーメンの宝物が日本に47年ぶりに上陸している。ツタンカーメン王墓は今から90年前に発見され、副葬品約5400点が出土した。それらは金やラピスラズリなど古代エジプト最高の素材と技術で作られ、考古学的にも美術的にも比類ない価値を持つ。秘宝は今も世界の人々をひきつけるが、そこには単に史上最高の美術工芸というだけでは説明できない何かがあるようだ。ツタンカーメンの宝物の魅力は何だろう。

 大阪天保山特設ギャラリー(大阪市港区)で開催中の「ツタンカーメン展〜黄金の秘宝と少年王の真実〜」。会場に入ってすぐ、暗闇に浮かぶ1体の石像がツタンカーメンの謎に満ちた生涯を暗示する。

 「ツタンカーメンの立像」は20世紀初め、テーベ(現・ルクソール)のカルナック神殿にあった遺物隠し場所から見つかった。同神殿は古代エジプトの国家神だったアメン・ラー神の大本山。そこに像があるのは、ツタンカーメンの同神への帰依を意味する。

 だがエジプト史を少し、ツタンカーメンの父、アメンヘテプ4世の時代へ遡(さかのぼ)ってみよう。すると、像がツタンカーメンがたどった激動の運命の残像と思えてくる。

 アメンヘテプ4世は政治におけるアメン神官団の勢力拡大などを嫌い、アテン一神教宗教改革を断行。自らアクエンアテンと改名し、都もテーベからアマルナへ移すほど徹底している。ツタンカーメンは父の治世の後、1人の王をはさみ、わずか9歳で即位。宗教を元に戻したとされる。その異例の状況は、少年王の周りの権力争いを容易に想像させるものだ。

 同展は、ツタンカーメンの“家族”が活躍し領土を広げ、古代エジプトの黄金期とされた「第18王朝」の宝物を出展している。

 その中で、未盗掘だったツタンカーメン王墓は「当時の国際状況が全部集約されている」(同展日本側監修者の廣田吉三郎氏)。約3300年前と今を結ぶ“タイムトンネル”といえよう。

 副葬品の素材を見ると、中央アジアラピスラズリ、東南アジアの黒檀、ヌビア(現・スーダン)の金など「豊かな国力、領土、多くの従属国がないとできない」(同)とわかる。また、装飾に地中海のクレタ文明で使われた渦巻き文の一種が使われるなど、古代人の往来も見て取れる。

 国内に目を向けると、アメンヘテプ4世の宗教改革とともに導入された新しい美術スタイル、アマルナ様式の存在感が強い。「アテン神を礼拝するアクエンアテン王一家のレリーフ」のように細長い顔、細い腰といった人物表現が特徴だ。こうして高いレベルにあった第18王朝の文化が集大成されたものが、ツタンカーメン王墓の副葬品といえるだろう。

 ツタンカーメンの死因や出自については、DNA鑑定など最近の科学調査で、真相にせまるデータが多く出され、本展でも公開されている。しかし、異例に小さい王墓に、なぜ黄金製品がこれほど大量に詰め込まれていたかなど、1922年の王墓発見以来の謎は、まだ“封印”が解けていない。謎を秘めた美しさほど、人をひきつける美はない。

 11時に入ろうとしたけれど、2時間待ちでうろうろと時間をつぶし、夕方まで待ってから45分の時に並び入場しましたよ! 初めは映画が3分見てから現物を見れます。人が一杯でほとんど見れませんね。疲れたです。